KGBでの2日間
上へ KGBでの2日間 モンゴルと技術のあり方

          

“KGB”での2日間

東北アジアセンター 教授 佐藤 源之

本稿の発表についてはセンター内部の教官から多くの意見をいただいた。私が直接目にした事実のみの記述をこころがけたが、個人の見解であることには相違ない。ニュースレターでの公表はセンターを代表する意見という意味ではなく、私個人が2000年9月に公務として行った研究活動に関する事柄であること、またロシアに関係する研究者に事実を伝えたいからに他ならない。本稿中で旧称“KGB”を使っているのはいずれもロシア人が口にした場面である。

1.プロローグ
バイカル湖に沈む赤い夕日を眺めながらロシア科学アカデミーの小さな観測所で夕食を終え、ウラン・ウデのホテルに向かうべく我々はバンで出発した。同行6人はロシア、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、そして私のいずれも大学教授で4日間にわたるマイクロ波リモートセンシングによるシベリア森林観測ワークショップでの講義のためにロシア科学アカデミーから招聘されていた。木造の小さな民家が並ぶ漁村をバンは通り抜けていく。日本、ドイツ、ロシアから参加した我々の学生は別のバスで既にホテルに着いているはずである。ブリヤート族の伝統に従い町に差し掛かる前の峠でコインを投げて道中の安全を感謝し、間もなくホテルというところから、すべてが始まった。

2. 9月14日
 街に入る直前、夜8:30頃、検問所で車を止められる。周囲は既に完全な暗闇。突然男がやってきてアメリカの先生が無理やり降ろされ別の乗用車に押し込まれ、代わりに男3人がバンに乗り込んでくる。運転しているロシアの先生の隣に座った男は、乗用車について行くよう指示する。ロシアの町はずれで検問所は何度か経験しているが、全く状況が違う。乗込んできた男はしばらくして自分から"KGB"だと英語で言う。現在ロシアにKGBは存在しないが、これに代わるFSB(Federal Security Bureau)が活動を続けている。車が街に来たことはわかるが、暗闇でどこにいるかははっきりわからない。ゲートを入って建物の横を通り抜け駐車場に入る。
建物の中にすべての荷物を持って入るように指示される。小さな部屋に入って座らされると、いきなり若い男が、我々に黙秘権のあること、弁護士をつける権利があることなど話し始めたものだから、一同事態の異様さに気が付く。ドアが閉められ、何が起きたか全く理解できない。しばらくしてから通訳がGPS(カーナビなどで利用されている電波で現在位置を正確に知る装置)が問題だと漏らし、そのうち部屋にいる調査官もGPSのことに触れる。しかし調査官以外の若者はGPSとは何か、何に使うものか、どんな形をしているかと我々に逆に質問してきた。
そのうち、一人ずつ別の部屋に行くように指示され、お互いの状況がわからなくなる。夜中の12時を回っていたと思うが、私の番が来て隣の取調室に。調査官は25才くらいの青年。彼は英語がある程度わかっているのだが、通訳を介してしか話をしない。ブリヤート人の通訳が英語に訳す。取調官は、再度黙秘権があること、必要であれば弁護士を呼べることなどを説明する。こちらは慎重に言葉を選んでいたが、取調べは穏やかである。いつ入国して、何をしていたのか、誰といたかなどを聞いていく。ここで初めて、我々がGPSを使って必要以上に精密な地理情報を収集しているという容疑内容を明らかにした。質問は研究プロジェクトやロシア研究者との接触に絞られており、私の知らない町の名前を挙げ、そこに行ったことがあるかと尋ねる。またGPSをどこで誰が使っていたかということを繰り返し尋問する。ワークショップの会期中、GPSは誰も使ってない。通訳は初めて"KGB"に来てExcitingではないかと取調官のいない合間に問い掛けてくる。時間が経っても質問はさして進展せず、後で記入するから白紙の調書に署名しろと言うので拒否をする。すると後は明日にしようと言う。通訳は学生で、今夜7時に来るように連絡を受けたというから、FSBは我々の行動をよく把握していたことになる。夜中3時に取調べを終え、学生が居るはずのホテルの場所を聞くと目の前だという。取調官が車で連れて行くというので少し警戒して通訳にも来てもらうように頼む。PC,ノート、スケジュール帳は取り上げられた。モンゴルで泊まったホテルの部屋番号と電話番号をメモした紙を大事そうにしまっている。説明したがGPSの記録と疑ったのだろう。
正面玄関から外に出ると、我々が街の真中にいたのに驚いた。確かにホテルはレーニン広場を挟んだ目の前だった。学生は検問さえ受けずホテルに到着していた。我々は電話を許されなかったが、夜中になってから学生には居所が知らされていたらしい。この時点でフランス、イギリスの先生2名はホテルに戻っていた。彼らはPCを持っていなかった。他の3名の状況は依然わからない。

3. 9月15日
 朝になって6名はホテルに戻っていたことがわかる。4名は荷物を取り上げられており、取調べが続く。GPSにだけFSBが興味を持っていることが明らかになり、我々に直接身の危険が及びそうではないことが分かる。私は一人で朝10時に歩いてFSBに向かった。昨夜と同じ取調官と通訳が昨夜と同じ取調べを繰返しながら調書に記載していく。昼過ぎまで同じことをゆっくりやっている。PCの中身をチェックする検査官が他の先生のPCにかかりきりでまだ来られないというので、3時に再出頭することにする。調査官は一緒に食事をしようと誘ってくる。
3時に再出頭。検査官がPCのファイルを調べたが、リモートセンシングデータもGIS(地理情報システム)も入っていないと説明したらもういいという。最後にPCは返却されたと書いてある証書に署名をさせ、取調官はこれで容疑は全て晴れたから調査を終えると宣言した。調書を読み返し、これでいいかと聞くからだめだと答えた。我々6人がロシア科学アカデミーに招聘されたこと、ロシアの研究者を対象にリモートセンシング技術がいかにシベリアの環境保護に重要であるかについて講義をしに来たこと、GPSが環境研究にいかに重要であるか認識しなければいけないことを調書に書かせた。それも書くのかと問い返してきたが、書いてくれと言うと拒みはしなかった。FSBの建物の外まで検査官、通訳は見送りに出てきて個人的には申し訳なかったと英語で言う。確かに張り切って調査をした彼は任務に忠実なだけである。

4.エピローグ:これからの国際共同研究のために

夕方、とりあえず6人の取り調べは終了した。ようやくお互いの状況がわかった。我々の荷物からGPS装置が発見されていたとのことである。この装置は外国研究機関から我々以外のロシア研究者が合法的に
輸入し、メンバーの一人が一時的に借用していた物である。この装置の使用許可の更新をロシア人所持者が怠っていたとのことであり、これについて罰則を受けることに異議はない。またロシアの先生は今後も取調べが続くことになり、すべての所持品は取り上げられたままである。ロシアの重要な研究パートナーである彼の今後の研究に障害が起こることを我々は強く懸念している。
ロシアへのGPS持込が厳しくなったことは国内のロシア環境研究者の集まりなどで既に何度か耳にしていた。GPS持込に許可の要ることを知っていたから、私は今回の旅行で所持していたGPSカメラをモンゴルからのロシア入国前に、モンゴルの知人宅に預けていた。
大変残念なことだが今回の事件は2日間ですべてが終わるどころか憂慮すべき事態は今も続いている。我々6人と同行の学生は10月20日までに全員自宅に戻ったがFSBの取調べが終了していないとの連絡はe-mailで引き続きもたらされている。アメリカの先生はロシア国内の研究者と多数面会した後モスクワから出国したが、ロシア人からのお土産など大部分が没収された上、いくつかの資料は返却されていない。また彼が所持していたノート、ファイル類はすべて我々がFSBに拘留されている間にコピーされたことは、彼のノートにすべて手書きでページが振られたことから明らかである。またワークショップ後ロシア国内で地理情報データ取得のため現地調査を続けていたドイツ人学生3人はロシア滞在中に改めてPCを取り上げられた。
GPSは我々環境研究者にとってもはやなくてはならない装置である。詳細な地図の所持に許可が必要なのはロシアだけではないが、ロシア国内でもロシアの精密地図は販売されている。GPSに対する制限は地理・地質・自然環境を対象とする研究分野に重大な障害をもたらしている。シベリアの森林で起きた森林火災現場を現地で特定するためにGPSは計り知れない力をもっている。ロシアの健全な開発や自然保護を主な目的とするリモートセンシングの分野において、GPSの制約はロシア国内の研究レベルを他の国に比べて著しく遅らせる原因の一つになりつつある。またその取締りの無意味さに気が付くべきである。GPSを装着した中古日本車がFSBの前を通行するのを我々は目撃している。
 FSBで我々が直接接したのはいずれも30歳前の優秀そうな若者であった。彼らは自分で時に本音を漏らしていたように取調べはFSBに入って始めての体験だったようだ。夜中にもかかわらずこうした若者が所内には大勢いて仕事をしていた。“KGB”の復活が大統領選挙前後から話題になっていたが、その一端を
目のあたりにした感がある。今回拘留されたメンバーはいずれもロシア国内で長期にわたる研究活動を続けてきた経験をもつが、このような体験は誰もが初めてであった。
 東北アジア研究センターをはじめ、ロシアに関わる研究者にとって今回の私の体験については今後適切に対応しなければならないことだと感じ、敢えて仔細な状況を文章にした。我々は強力で信頼する研究パートナーであるロシア科学アカデミーに対し事件直後から詳しい情報を送り続けた。また6人はロシア科学アカデミーに対しGPSの適切な取り扱いについて科学者の立場から対処するよう要請する準備をしている。我々はFSBに対して何ら抗議行動をとるつもりはないし、法律に従ったFSBの取調べ自体には何ら不服もない。2日間の拘留についてウラン・ウデのFSBは謝罪文章を我々に提示している。しかし今回の事件が我々の研究パートナーであるロシア研究者の研究活動を阻み、ロシア社会と科学の健全な成長を妨げる要因になることを科学者として見過ごす訳にはいかない。